◆神のスパークを受けよ◆

神は、世界を炎で燃やす火花を作ることができる。

神は、一人の貧しい“祈り人”の火花によって、

国全体を照らし出すことがお出来になるのだ。

あなたも、そのために用いられるかもしれない。

だから、勇敢でありなさい。

 

【解説】 ご存じのように、車のエンジンは、一瞬のスパーク(電気火花)によって点火し、重い車体を高速で走らせることができます。昔は、火をおこすのが大変でしたが、火打ち石が発見されて、かまどに火をともすことが容易になりました。やがてそれがマッチになり、ライターになりましたが、原理は全て同じ、一瞬の火花によって、着火させることです。目にも入らないような微小な光と熱の玉が、時に燎原を、森を燃やし尽くし、時に家全体を明るく照らす光のもとになるのです。

霊の世界においては、救われて神のしもべとなった私たちの誰もが、神のスパークを受けることができます。”神のスパーク”とは、祈りとみ言葉を通して、あなたの魂に働きかける“聖霊の火花”です。神様の目で見る世界の歴史は、旧約の時代も、新約の時代も、それに続く2000年の歴史も、このような聖霊の火花を受けて立ち上がり、自らを、そして周りの人々を、遂には国家を燃え輝かせた人々によって前進してきたのです。

「確かにそう。でも私などは…」と思いましたか? スポルジョンが「あなたも、そのために用いられるかもしれない」と言った原語には、“まだ間に合う”というニュアンスがあります。「私にはなんのたまものもないから」「私はもう年だから」という言い訳は、神様の前には通用しません。そんな私たちの弱さを百もご承知のうえで、“点火”してくださるのは、神様なのですから。そして最後の「勇敢でありなさい」は、読んで気づかれた方もいるでしょうが、あのヨハネ16:33のみ言葉です。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

この罪の暗黒の世で、光り輝こうと思ったら、たちどころに艱難が襲います。でも私たちには、あの十字架と復活によって、サタンの支配する罪の世に勝たれた主イエス・キリストがおられるのです。この主に在って、私たちは“まだ間に合います”。まだ用いていただけるのです。私が、あなたが、“聖霊の火花”を受けるために、まず“一人の貧しい祈り人”として、み前に自らを差し出す限り――。

God can make a spark set a world on fire-he can light up a whole nation with the spark of one poor praying soul. You may be useful yet; therefore be of good cheer.