1. 《人生が真に始まるとき》
イエス様が
あなたの生きる理由になったときに、
人生は、
始まるのです。
【解説】 人は、肉体的には、母の胎から誕生した時に生まれ、霊的には、イエス・キリストを信じてバプテスマ(洗礼)を受けたときに、”新生”、新しく生まれます。でも、私たちの本当の人生は、”イエス様”が全ての全て―このお方のために生き、このお方のために死ぬものとなったときに、始まるのです。
主イエスは、あなたにとって、“生きる理由”になっていますか?
(ローマ14:8)
「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」
(ピリピ 1:21)
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」
Life begins once Jesus becomes the reason you live it.
2. 《問題あるところ、祈りあり》
もしあなたの問題が終わらないなら、
祈りも やめてはなりません。
【解説】 問題のない人生はありません。あなた自身の問題、家族の問題、教会の問題、勤務先の問題…、死の間際まで、問題は付きまといます。問題に対する私たちの対処方法は、何をおいても祈りです。だとすれば、私たちの祈りもまた、決してやめてはいけません。”問題”と”祈り”は、表裏一体、コインの両側なのです。
If your problems haven’t stopped, neither should your prayers.
3. 《信仰が知る未来とは》
信仰とは、
未来に“何が”あるかではなく、
“誰が”未来を握っておられるかを
知ることです。
【解説】 ♬明日は私にはわからないけど
明日を守られるイェスがおられる♬ 訳しながら、思わずこの「明日を守られるイエス様」を口ずさんでいました。一瞬先も、私たちには分かりません。でも、私たちの髪の毛1本が落ちるのもご存じの主が、いつも私たちの先を行かれ、時に後ろを押してくださり、時に脇に立たれ、時に背負ってくださり、時に手招きをしてくださりながら、人生の目的地に、間違いなく導いてくださるのです。
”私の明日は、主がそのみ手に握っておられる“―これを信じて今日を生きるのが信仰です。
Faith is not knowing what the future holds, but knowing who holds the future.
4.《人が何をしても神様は…》
人はあなたを傷つけますが、神様はあなたを癒やします。
人はあなたを辱めますが、神様はあなたを高めます。
人はあなたを裁きますが、神様はあなたを義とします。
信仰を持ちなさい。
【解説】 原語では、第1節の「傷つける」と「癒やす」にhurtハートと healヒール、第3節の「裁く」と「義とする」にjudge ジャッジとjustifyジャスティファイを用いて、文学的修辞を施しています。
私たちの人生は、24時間、<人と私><神と私>の関係の中で成り立っていますが、この世の人々は、しばしば私たちを「傷つけ、辱め、裁き」ます。しかし全てをご存じの神様は、そのたびに、愛する者を「癒やし、高め、義として」くださるのです。それを信じられなかったら、この厳しい人生を、人は生きてはいけません。多くの人々が、この人間関係の重圧に耐えきれずに挫折し、人間不信に陥り、自ら命を絶っていきます。でも私たちには、この神様が―十字架の上で全ての重荷を負ってくださったイエス様がおられます! だから私たちも生きていけるのです。今日も、しっかりと、このお方に信仰のフォーカスを当てましょう。”信仰を持ちなさい。“
(ヨハネ 14:19) 「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」
People will hurt you, God will heal you. People will humiliate you, God will magnify you. People will judge you, God will justify you. Have faith.
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