◆新年: 継続、そして新しき小径(みち)へ◆

《継続》

“年の終わり”というのは、

”事の終わり”でもなければ、“事の始まり”でもない。

それは“継続(進行中)”なのだ。

“経験”が、自分のうちに染み込ませてくれる

全ての“知恵”を働かせながら――。

~ハル・ボーカンド~

Year’s end is neither an end nor a beginning but a going on, with all the wisdom that experience can instill in us. – Hal Borkand

 

《新しき小径》

私たちの人生に起こる“悪しきこと”が、

時として、

手ずから連れだした小径(みち)を経て、

この身に起こりうる“最善”へと導くことがあるものだ。

【証し】 このオリジナルの言葉は、特に年頭に書かれたものではないのですが、訳者は、この新しい主の年2019年の初めに、自らの心に にれはんでいます。悪夢の3年を経て昨年私に起こったことは、人生“最悪”の出来事でした。その私の手を取って“最善の小径”に導いてくれるのは、この原文の“悪しき運命”ではなく、“全てを働かせて益としてくださるお方”、“ご自身のみ子をさえお与えくださったお方”ご自身です。そのゆえに私は、この真実なお方が、必ずそうしてくださると信じています。

(ローマ 8:28,32) 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。…私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」

Sometimes the bad things that happen in our lives put us directly on the path to the best things that will ever happen to us.