◆♬やがて天にて◆

天において、私たちを

この上もなく幸せにしてくれるものは何であろうか?

それは、より豊かな神の知識であろう。

その時には、今の時よりもはるかによく、

このお方について知ることになるのだ。

~ジョージ・ミュラー~

【解説】 19世紀のイギリスで、孤児院を創設し、65年の生涯で、一日たりとも政府や公機関の手を借りることなく、ただ祈りのみによって神の助けを頂いて、400人の孤児たちの世話をしたミュラーの言葉です。ある意味、彼ほど地上において神を知っていた人はないと言えるかもしれません。彼は見えないお方を毎日その目に見るかのごとく、ただ神とのみ語り、神のなさる最善に全てを委ねたからです。彼のなした全ての奇跡の業は、ご自身に対するこの絶対信頼への、神の応答だったのです。その彼にして、この言葉です。裏を返して読めば、「地上で私たちが神について知りうることは、ほんの一部にしかすぎない」と言うのです。神の全知、全能、遍在、予知、愛、あわれみ、義、善、摂理…その全てにおいて、神のなさることは、私たちの理解を超えています。だから、時として、私たちは、この身に起こることに怒ったり、嘆き悲しんだりもしますが、時が来れば、神が全てをコントロールなさり、全てを働かせて益としてくださったことを知るのです。それでも中には、この地上では分からないままに終わることもありますが、それは、かの天において、神様が直接に明らかにしてくださるでしょう。その時、私たちは、膝をかがめて、ただただこの大いなるお方を褒めたたえることでしょう。その時まで、私たちは、限られた知識の中で、神の“最善”を信じて生きてまいりましょう。それが、私たちの“信仰”です。神様はそのために、ご自身を知る地上の知恵と知識の集大成としての“聖書”をお与えくださり、最高の模範としての生ける主、イエス・キリストを人としてお遣わしくださったのです。

(ヨブ42:3) 「知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」

(Ⅰコリント 13:12) 「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」

(Ⅱコリント 3:18) 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

What will make us so exceedingly happy in heaven? It will be the fuller knowledge of God, - we shall know Him then far better than we now do. – George Muller