◆ありのままで祝福をつかむ生き方5か条◆

1. 《心を開けば奇跡が見える》 

どんなことでも、次に起こることに心をオープンにしていなさい。

そして奇跡が起こるさまを見つめるのです。

【解説】 神様が備えられた奇跡には、とてつもなく大きいものも、肉眼では見えないような小さなものもあります。でも私は、神様が生きておられる限り、この世界は神の奇跡に満ちていると信じています。ただ、それは誰の目にも明らかなものではありません。実際には、多くの人が、すばらしい奇跡を見逃しているのです。なぜでしょうか? ズバリ、この人生に“心を開いて”いないからです。自分だけの固定観念、かなりバイアス(偏り)のかかった物質至上主義に捉われながら、自分の殻の中に縮こまって、目に見えない“美しいもの”に心を閉ざしているからです。「今日という日、神様は何をなさろうとしているんだろうか? どんなスゴいことを見せてくれるんだろうか?」という期待を込めて、大きく開かれた心で一日を始めることです。それは実は、”次に起こること”にではなく、あなたのためにそれを起こしてくださる“神様に対して”心を開くことなのです。

Be open to whatever comes next and watch miracles start to happen.

 

2. 《健康な芋虫は美しい蝶になる!》

私は芋虫のようになりたいわ。

いっぱい食べて、

ゆったりと睡眠をとり…

美しい蝶になって目覚めるの。

【解説】 これを読んだ女性の皆様の反応は、ぷっと噴き出すか、「それができたらねぇ」とため息をつくかのどちらかでしょうか? でも身体の健康と共に、霊の健康をも心がけるとき、これは真理だと実感できると思います。み言葉をいっぱい心に

にれはみ、ゆっくりと主との交わりに時を用いるとき、私たちの心は聖められ、美しくなり、必然的に、表情までが優しさと輝きで光を放ってくるのです。これは女性だけのことではありません。

I want to be like a caterpillar. Eat a lot, sleep for a while, and then wake up beautiful.

 

3. 《愛されたいなら自分のままであれ》 

人に好かれるために、自分を変えようとしてはいけません。

あなた自身でいなさい。

そうすれば、ふさわしい人が

あなたを愛します。

【解説】 これができるのは、“自分を愛している人”です。これは、ナルシシズム(利己的な自己愛)とは違います。神様によって愛されている自分を、そのままに受け入れている人です。そこから、「私は私でいいんだ」という内からの自信と強さが生まれます。そしてその魅力をしかと見抜く人をも、神様は備えてくださるのです。

Don’t change yourself so that other people will like you. Be yourself so that the right people will love you.

 

4. 《寄せ返す“友波”から「タコ友」出現!》

友達は、大洋の波のように、寄せては引いていきます。

けれど、本当の友は、

あなたの顔に吸い付いたタコのように、

何があっても離れることはありません。

【解説】 3.の“ふさわしい人”は、時には友であり、時には生涯の伴侶ともなるわけですが、まあ“親友(真友・信友)”の描写のあまたある中で、“タコ”に例えたものは初めてです! でも、“真実の友は、決してあなたを離れることはない”ということを表すのに、これほど強力な例えもないでしょう! 祝福の人生の中に、“良き友”は欠かすことのできない存在なのです。

Friends come and go like waves of the ocean but the true ones stick like an octopus on your face.

 

5. 《“傾聴”こそ最大のギフト》 

他者の話に、

ただ黙って、

心を込めて耳を傾けることは、

“途方もない贈り物”なのです。

~ブライアント・マッギル~

【解説】 4.で良き友を得たら、今度はあなたが“良き友になる番です。この短い1行の原文は、深い二重の真理を教えてくれます。一つは、この“傾聴”が、他のどんな物質的贈り物にもまして、相手の人にとっては本当にすばらしい、かけがえのない贈り物になるのだということです。高齢化社会、過疎化社会の中で、誰からも聴いてもらえない人々がどんどん増えています。一方では、なんの投薬もカウンセリング治療もなしに、ただじっと聴いてもらっただけで、見違えるように生気を取り戻す人もいます。この”途方もない贈り物”に、人々は飢え渇いているのです! もう一つは、このように人の話を聞いてあげるのは、自己中心の罪を持つ人間にとっては、実は至難の業。これができるのは、本来はあり得ないような天賦の能力=たまものなのだということです。私たちは、聖書の言うようにますます愛の冷えてゆくこの時代にあって、このたまものを、何にもまして祈り求めなければならないのではないでしょうか?

It is a tremendous gift to a simply and truly listen to another – Bryant McGill