◆神と私の不可思議な関わりの三相◆

《私の不可思議な祈り》

主よ、

私をお用いください。

そして あなたご自身でいてください!

【解説】 これは、最短とも言うべき短い祈りですが、私の覚えている限り、長い信仰生活で初めて聞いた祈りです。それは3行目。そしてこの1行は、最初の1・2行目との関係をいやおうなしに考えさせ、改めて新しい霊の気づきを与えてくれました。この1・2行目と3行目をつなぐ「そして」は、原語andの様々な意味合いのうち、これによって前者と後者を”対等”に結び付けること、そして“前者であるゆえに後者である”という因果関係を表します。ひと言で言えば、“神は、私があるゆえに、神であられる”ということです! 神様は人間の目には見えませんが、ご自身をさやかにお示しになることができます。それは、私たちを通してです。神様の愛、あわれみ、善、忍耐…というご性質は、私たちが人々に示す言葉や行いによって、表されます。そのゆえに、私たち自身は欠けだらけの者ですが、「主よ、あなたがどんなにすばらしいお方であるかを示すために、この私をお用いください」と、自らをみ前に差し出すのです。それを通して(畏れ多いことですが)、見えざる神は確かに“神ご自身”であることを明らかになさいます。「人間の“献身”を通して、神はご自身の“存在”を顕示される。」――これは奥義(ミステリー)です。そしてこの短い祈りは、「この身を通して、その奥義を私たちのささやかな日常の中にもたらしたまえ」と切願する祈りなのです。

Use me, Lord and be yourself!

 

《神の不可思議な抱擁》

神は、あなたをハグしておられる。

あなたは、神のみ腕の

不可思議な輪の中にいるのだ。

【解説】 これが、神様と私たちの“聖なる相関関係”です! 人間のハグは、お互いの親愛の情の表れですが、神様のハグは、ご自身の一方的な“愛の主権”によって、あなたのその時の神への愛の状態を一切問わず(時には、かなり冷え込んでいても!)、いつも大きくあなたを包み込み、しかも決してそのハグの輪を外してしまわれることはないのです、永遠に――。これが、人の世にはどこにも存在しない、あなたへの神様のいとも不可思議な“愛の抱擁”です。

(申命記 33:27) 「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」

God hugs you. You are encircled by the arms of the mystery of God.

 

《魂の不可思議な置きどころ》

あなたの魂を、栄光の輝きの中に置きなさい!

【解説】 この命令は、本質的に神様からのものです。「栄光の輝き」と訳した原文the Brilliance of Gloryの、定冠詞theは、「私の」Myと読み替えましょう。人間は、目に見える体(肉体)と目に見えない心とから成り立っていますが、この心の中で、霊なる神の存在を知り、神を信じる最も深い部分を”魂・霊“と呼びます。この神様のご命令は、その一番大切な魂の置きどころを、どんなときにも(霊に燃えているときだけでなく、心身共に疲れ果て、生きる気力さえうせそうになるときでも)、”神の栄光の輝き”の中と定めよ、というのです。それは、私たちになじみのある言葉で言えば、「どんなときでも、あなたの魂の奥深くに住みたもう栄光の主のみ座のもとから、迷い出てはならない」ということです。そこにとどまる限り、神様は、あなたの現実の悲しみ、苦しみ、怒りをかき消して余りある圧倒的なみ力で、あなたを照らし出し、癒やし、力づけ、遂にはあなた自身の魂を、神の栄光の輝きに染まらせてくださいます。これが、私たちが自らの魂を主の栄光の輝きの中に置き続けるときにのみ、内なるキリストがなしてくださる、不可思議な”聖化”の恵みなのです。

(Ⅱコリント 3:17,18) 「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

Place your soul in the Brilliance of Glory!