◆神様の目のつけどころ◆

お前が、“いかに偉大な人物と共に立っていたか”など、

私には興味はない。

私が重きをおいているのは、

お前が、“打ちひしがれた人と共に座っていたかどうか”なのだ。

~作者不詳~

 

【解説】 冒頭に、「主は言われる」と補って読んでみましょう。「偉大な人物」と訳した定冠詞付きのThe greatの中には、その偉大さを表す中身として、「際立った人、卓越した人、社会的地位の高い人物、成功者、重要人物」などとも訳せます。一方、「打ちひしがれた人」と訳した、これも定冠詞付きのThe brokenの中には、もちろん肉体のけが、骨折、痛みを負った人も入りますが、それに加えて、「挫折した人、衰弱した人、破産した人、結婚生活・家庭生活に破綻した人、会社組織などで格下げされた人」なども含みます。ひと言でいうなら、“生きる望みを失いかけている人”です。前者の人の威光の下で己が身の安全を保つべく立つのか(そんなとき、周りのものは、とりわけ足元にうずくまっているものは、まず見えません)、後者の人に寄り添って、共に座り、自分にできる精いっぱいの助けの手を差し伸べるのか。どちらを選ぼうと、人はその人の生き方をとやかく言うことはできません。ただ主イエスだけが、かの日に、このように言われるのです。「あなたは、私の目にかなっていたか?」と――。

 

I‘m not interested in whether you’ve stood with the great. I’m interested in whether you’ve sat with the broken. - Unknown