◆ある祈り: あなたの証しのために◆

あなたの生活が、

あなたの口の言葉よりも

より声高く福音を説くものでありますように。

 

【解説】 訳者にとっても、とても新鮮で、自らの生き方を探られる祈りでした。「生活」と訳した原語lifeは、ご存じのように、「人生」「命」の意味も持っています。その意味も込めてこの祈りを味わいましょう。

私たちが救われた神の“福音”―救いの良き知らせ―は、今度は私たちが宣べ伝えなければなりません。それが私たちの“証し”ですが、それは、言葉だけではなく、日々の生き方によってもなされるものです。あなたのご家族、ご近所、学校、職場など、私たちの周りにいる100人のうち99人の人々は、まだこのすばらしい福音を知りません。そして、あなたがクリスチャンであると知ると、“クリスチャンとはどういう人なのか”と、あなたの一挙手一投足を見ています。そのとき、あなたの語る証しが行いを伴っていないと、「言ってることとやってることが違うね」と思われ、その人々の信仰への道は、遠ざかってしまいます。逆に、語る言葉はつたなくても、いいえ、何も言わなくても、その行いが、本当に“喜びと感謝と愛”に満ちていると、それは千の言葉よりも雄弁な、“福音の宣教”になるのです。

なぜこの祈りのオリジナルの画像が、2羽の小鳥なのかと考えながらイラストを見ているうち、イエス様の山上の教えを思い出しました。

(マタイ 6:26) 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」 

私たちの“生活”は、この小鳥たちのように、労せずして、日々の必要を備えられ、天のみ父に養われ、“生かされている” 日々の積み重ねの“人生”です。かく言う私は、3年間の国際詐欺の被害で、今もその日その日を妻と共にかろうじて生きているのですが、不思議に守られています。そこから、口をついて出るのは、ただ「感謝、感謝」です。明日どうなるか分からなくても、今日を生かされている“命”の喜びがあふれてくるのです。これが“福音”でなくて何でしょうか?

この短い祈り、愛する同労者のために祈ると共に、まず自分自身のために、「あなた」を「私」に代えて、日々祈る者でありたいですね。

 

May your life preach more loudly than your lips.