◆神を楽しむ◆

神は、理性ある被造物にとって、“最高の善”である。神を楽しむことは、私たちにとって至当なことであり、私たちの魂が満足を覚える唯一の至福である。天に上り、心ゆくまで神を楽しむことは、地上の最も楽しい設備よりも、無限に良いことである。父よりも、母よりも、夫よりも、妻よりも、子どもたちよりも、地上のあらゆる仲間や友たちよりも良いものである。これらのものは“影”に過ぎない。だが神を楽しむことは“実体”である。これらのものは“散りゆく光”に過ぎない。だが神は“太陽”である。これらは“流れゆくもの”に過ぎない。だが神は“泉”である。これらのものは“滴(しずく)”に過ぎない。だが神は“大洋”なのだ。

~ジョナサン・エドワーズ~

 

【解説】 ジョナサン・エドワーズは、18世紀アメリカの会衆派の牧師、カルヴァン主義神学者、アメリカ先住民への宣教師で、大覚醒運動(リバイバル)の指導者でもありました。この短い一節を読むと、文学的表現もなかなかのもので、地上のあらゆる楽しみよりも(それら自体は、神様からの恵みですが)、それらをお与えくださった創造者なる神様を楽しむべきことを、4つの例えによって読者に勧めています。ここで「天に上り」と言っているのは、必ずしも死後に約束されている天国でのことではありません。それは、この地上において、“心を天に向けて開く”ことによって可能です。地上の恵みの一つ一つを、“神に在って”楽しむとき、私たちは、心の深いところにおいて、“神ご自身”を楽しむことができるのです。

 

“God is the highest good of the reasonable creature. The enjoyment of him is our proper; and is the only happiness with which our souls can be satisfied. To go to heaven, fully to enjoy God, is infinitely better than the most pleasant accommodations here. Better than fathers and mothers, husbands, wives, or children, or the company of any, or all earthly friends. These are but shadows; but the enjoyment of God is the substance. These are but scattered

beams; but God is the sun. These are but streams; but God is the fountain. These are but drops, but God is the ocean.”

Jonathan Edwards