◆スポルジョン流 信仰の三つの柱◆

1. 《誰を信じるか?》 あなたは、”死せるイエス”を信じるよう求められてはいない。あなたが信じるのは、私たちの罪のために死なれたが、私たちを義とするために、再びよみがえられた“生けるイエス”である。

You are not asked to trust in a dead Jesus, but in one who, though he died for our sins, has risen again for our jusrification.

【解説】 孔子、釈迦、モハメッド、いずれも世界の歴史を変えた偉大な教えを後世に残しましたが、皆、死にました。一人、神のみ子イエス・キリストだけが、人類最大の敵、“死” を打ち砕いて復活されたのです。私たちは、単に2000年前のキリストの教えを守り、それに従っているのではありません。私たちは、日々、一瞬一瞬、生ける主と交わり、主と共なる人生を歩んでいけます。私たちは何かの宗教に帰依しているのではなく、命の主、キリストに在って信仰に生きているのです。

(Ⅰコリント15:17) 「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」

 

2. 《寝ているサタンを起こすな》 それゆえ、私たちは、極めて真剣に“誘惑”を避けなければならない。しっかりと武装して、“従順”の道を歩むことによって、決してサタンに、自分を誘惑させようと誘惑するようなことをしてはならない。私たちは、ライオンを探してやぶの中に分け入ってはいけないのだ。

Very earnestly, therefore, should we avoid temptation, seeking to walk so guardedly in the path of obedience, that we may never tempt the devil to tempt us. We are not to enter the thicket in search of the lion.

【解説】 強敵サタンに対して武装した私たちの姿は、エペソ書6章を思い出させますね。 “従順の道”とは、言わずもがな、み霊の与える剣である「神のみ言葉」への徹底した従順です(エペソ6:17)。その際にも、み言葉を自分に都合のいいように解釈させようとするのは狡猾なサタンのテクニックであることをお忘れなく(創世記3:1-5)。後半、「自分を誘惑させようと誘惑する」の一節が、面白いですね。でも私たちは、自分でも気づかないうちに、これをやっているのです。それを、そのあとのライオンの藪をつつく例えで言っているのですが、ありていに言えば、サタンに“隙”を見せるということです。最も危険なのは、自己過信。「俺は絶対負けないよ。試しに俺を誘惑してみな」という態度を見せるのが、サタンの最高の誘惑欲をそそるのです!

(エペソ6:11) 「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」

 

3. 《リバイバルはどこから?》 もし私たちがリバイバル(信仰復興)を望むなら、私たちはまず“神のみ言葉への畏れ”をリバイブ(復興)しなければならない。

If we want revivals, we must revive our reverence for the Word of God.

【解説】 私たちの思い描くリバイバルは、教会に、神学校に、そして地域社会に、ある日突如として起こる熱狂的な信仰のムーブメントです。それは、あのペンテコステに始まります(使徒の働き/使徒言行録2章) 。そしてキリスト教史2000年の中で、世界の各地に、また日本にも起こりました。でもそこに共通しているのは、それが “一人から始まった” ということです。それはまるで、長時間くすぶっていたワラの一本に、パッと火がついたようなものです。するとたちまち、燎原の火のように燃え広がっていくのですが、その一人の人に聖霊の炎がともるまでには、長い間のみ言葉への謹従と祈りがあったのです。私の聖書は、単なるアクセサリーになっていないか? ともかく読んでおく程度の習慣になっていないか? 本当に襟を正して、聖書を通して私に語りかける臨在の神様への畏れをもって、“拝読”しているか? スポルジョンの問いは、時空を超えて、私たちに迫ってきます。リバイバルは、まずこの私自身から始まらなければならないのです。

(ヘブル 4:12) 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」