◆真に謙遜であるということ◆

“謙遜をもって”人に応答することは、ただ“謙遜について”説教することよりも良い。

~アレン・フッド~

 

もしあなたが、「私はどんなときも、神のみ手とそのなさり方を理解することができる」と言い張るなら、あなたは神を求めているのではなく、召し使いを求めているのだ。

~ボブ・ソージ~

 

【解説】 最初の文章を読んだ時、あのルカの福音書の“よきサマリア人の例え”(ルカ10:25-37)についての、ウィリアム・バークレーの聖書講解の一節を思い出しました。いわく、「強盗に襲われた人のそばをそそくさと通り抜けた律法学者は、その夜、人々に講演するため道を急いでいた。テーマは『愛について』」。

2つ目の文章は、“霊的傲慢”についての戒めです。私たちは、神のなさることを期待し、祈ることはできても、予知することはできません。それは人間の領分ではないからです。神のなさることは、どんなときでも、人の思いをはるかに超えています。私たちは、そのみ業を見たときに、初めて、「神様のみ業は、折にかなって美しい(伝道者の書3:11)。主は最善以下のことは決してなさらない」と、ただみ名を褒めたたえることが許されているだけです。

 

Responding in humility is much better than simply preaching on

humility.—Allen Hood

“If you insist on understanding God’s hand and ways in your life at

all times, you don’t want a God, you want a servant.”-Bob Sorge