《祈りの栄光》
祈りの生活における栄光とは、あなたがこれまでにご自身と交わした全ての会話を永遠に心にとどめ、誉れと思ってくださるお方とお話しできるという、途方もない恵みである。
~ベンジー・ヌニェス~
《祈りの忍耐》
忍耐をもって祈り続ける唯一の道は、他の橋を全て焼き払うことである。
~コーリー・ラッセル~
【解説】 1つ目の言葉には、意表を突かれた思いでした。“祈りの栄光”ということについて、考えたことがなかったからです。3度読み返し、心を静めて訳しているうちに、心を揺さぶるものがありました。神様は、祈りの会話の中で、ご自身が語られたことは言うまでもなく、私たちの言葉も決してお忘れにならない。私の場合で言えば、半世紀以上も前に、独り、「主よ、信じます」と思わず祈ったひと言の祈り、信仰を持ったばかりの頃のたどたどしい祈りから今日まで、そしてやがては、もう言葉も出ずに、ただ天を仰ぐ地上最後の祈りまで、一つ一つ、つぶさに覚えておられるだけでなく(こちらは祈った先から忘れていくのに!)、それを受けることを栄誉と思ってくださるとは、なんというかたじけなさ、なんという恩寵! ”祈りとは、何にもまして、途方もない恵みなのだ“と心に銘じたことでした。
2つ目の言葉は、”祈り”が、私たちに必ず訪れる人生の危機の、究極のよりどころであることを改めて教えてくれます。「橋を焼く」とは、後ろの橋を焼き払って自らの退路を断ち、決死の覚悟で敵に立ち向かうことです。私たちは困難に出会ったときに、できるだけ“橋”を残しておこうとします。何とかしてそこを渡って危機を脱したいのです。家族、親戚、友人という“ヒトの橋”、お金、貴金属、不動産という“モノの橋”、しかしその橋が多い分、私たちの祈りは“必死さ”を欠きます。祈りながら“まだあの橋がある”と考えるからです。そのような中途半端な祈りに、神様はなかなか答えてはくださいません。あなたは、全ての人間的退路を断たれて、うめきながら、泣きながら神に祈ったことがありますか? そして、「もう祈りしかない!」と心に思い定めて、一日24時間、何をしていても、ひたすら祈り続けたことが――。このような”祈りの忍耐”こそ、あなたの信仰生活の、最大の財産です。それは、「我に求めよ」と、あなたが祈りを通してただご自身に向き合うことを求めておられる神様からの、大いなる恵みだからです。
"The glory of a prayer life is the tremendous grace of talking to a Man who remembers and honors every conversation you've ever had with Him forever."
—Benji Nuñez
"The only way to persevere in prayer is to burn every other
bridge."
—Corey Russell
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