◆何よりも“人間”であること◆

“人間らしさ”は、全ての宗教を超えるものです。

もし私たちが愛するすべを知らなかったら、

もし私たちが、他者(ひと)の苦しみや感情に配慮しないとしたら――

聖書の言葉を引用することなど全く無益ですし、

「私は神を愛する」と公言することさえ、明らかなウソになります。

~サミュエル・リー~

 

【解説】 この“宗教者の偽善”こそは、イエス・キリストが最も激しく糾弾したものでした。そして彼自身は、神のみ子でありながら、この地上で、最も“人間らしく”生きた人でした。それは、言葉の真の意味において、神のかたちに創られた人間として生きられたということです。キリスト者が、生涯の課題として目指すべき“聖化”は、決して己を聖句と瞑想の世界に閉じ込め、人間らしさから離脱していくことではありません。聖化とは、一日、一日を、神様が“かくあれかし”と創られた、愛とあわれみと優しさと思いやりにあふれ、それらを否定する罪と不正を憎み、断固として闘う勇気を持った“人間”にかたちづくられていく歩みです。自己中心の罪によって損なわれた真の人間性を、内なる聖霊のお力によって、少しずつ、少しずつ、取り戻していく生涯プロセスです。それこそは、キリストに従い、自らのうちに“キリストのかたち“が成ることをひたむきに求めていく歩みなのです。

 

(創世記1:27) 「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

 

(ガラテヤ4:19) 「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」

 

Humanity is above any religion... if we don’t know how to love, if we don’t care about the suffering and the feelings of others—then quoting our bible verses are simply useless, even our claims

of loving God is simply a lie.

-Samuel Lee