◆とりなしの祈りが大切なワケ◆

1. 私は、ステージに立って説教をすることよりも、舞台裏でひそかにとりなしをする奉仕に進んで関わりたいと願う世代を、この目で見たいと切に願っている。 ~コーリー・ラッセル~

【解説】 原文は、直訳すると「舞台の上で説教するより、舞台の下でとりなしをする」と対照を際立たせています。(欧米の舞台は、いわゆる“奈落”で、文字どおり舞台の下で裏方さんが働くのです。)この表舞台と裏舞台の働きは、どちらも大切です。(現に、牧師の説教のために、同時進行で信徒が祈祷室でとりなしの祈りをする教会もあり、その教会は祝されています。)問題は、裏舞台のミニストリーに進んで当たる人が少ないことです。著者は、ステージで大いに用いられている説教者ですが、その彼が最も願っているのは、自分の背後で、祈りによって支えてくれる同労者なのです。これは、日本でも、今最も求められていることではないでしょうか?

2. ”とりなしの霊”とは、神のみ心に全面降伏した人生のことです。その人の祈りは天上と地獄をも揺るがし、厳しい現状の打破をもたらすのです。~コーリー・ラッセル~

 

【解説】 人のためにとりなすには、まず自分自身が、100パーセント神の意思を自分の意思として受け入れなければなりません。なぜなら、”とりなす”とは、その人のために、神の最善のみ心が成るようにと祈ることだからです。それには、自分の思いではなく、神様の思いに全く従ったときに、初めて、心からその人の最善を願うことが可能になるのです。

3. “神の人”であるかどうかが分かるのは、その人が “とりなしの祈り”に召されているかどうかであって、決して、他人(ひと)の“あら探し”にではありません。~コーリー・テン・ブーム~

 

【解説】 コーリーは、“あら探し”と“とりなし”を、私たちの霊的成熟度を測る何よりの物差しとしています。“あら探しに召される”なんて、コーリーのユーモア精神躍如ですが、ついその誘惑に負けてしまう私たちに、実は彼女は「神様は、そんなことは決してなさらない」と警告を発しているのです。“とりなし”は、相手の人の“あら”(落ち度、欠点、過ち)も、全て受け入れて、そこにスポットを当てることを一切しないで、その人の良きところを神様に訴え、その人に代わって赦しを請い、その人への神様の祝福を心から願うこと――。はっきり言って、難しい! とても無理です! でも、召されたお方は真実ですから、内住のみ霊の力によって、そのような人に、少しずつ変えてくださるのです。

 

いかがでしょうか? “とりなしの祈り”に、私のクリスチャン人生の全てがかかっていると言っても過言ではないほどの、「とりなしの祈りが大切なワケ」、お分かりになったでしょうか?

 

 

1. I’m longing to see a generation that wants to get “under the

stage” in the hidden ministry of intercession instead of “on the

stage” and preach. —Corey Russell

2. The “Spirit of intercession” is a life surrendered to the will

of God, whose prayers shake heaven and hell, bringing forth breakthrough. —Corey Russell

3. "Discernment is God’s call to intercession, never to faultfinding.”

—Corrie Ten Boom