◆先達の語る「罪」の深淵と「贖い」の恵み◆

① “罪”の持つ一つの大いなる力は、人の目をくらまして、その真の性質が分からないようにすることである。

~アンドルー・マーレイ~

 

One great power of sin is that it blinds men so that they do not

recognize its true character.

-Andrew Murray-

 

【解説】 なぜなら、”罪”は、闇の世の主権者、サタンの最高の産物だからです。(ビジネスで言うなら“目玉商品”です!)「これは罪だ」と分かるには、日頃から聖書と祈りによって、「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る」(ローマ12:2)ことと、自らの言動について、それが信仰から出ているか、周りのどんな声の中でも、確信と平安があるかを確かめることです。そこに一点でも“曇り”があれば、それは“罪”です。(ローマ14:23)

 

② 罪は、それがどんなに小さいかなどは問題ではない。それが積もり積もった力というのは、あなたの道をじわじわと“光”から遠のかせ、神なき“無”の世界へ落とし込むのだ。

~C.S. ルイス~

 

It does not matter how small the sins are provided that their

cumulative effect is to edge one away from the Light and out into the Nothing.

-C.S. Lewis

 

【解説】 さすが文学者ルイスの語る罪は、マジで恐ろしいですね。サタンが人間を破滅に追い込む手練手管の最たるものは、上記①で仮に私たちが「これは罪だ」と気づいたとしても、「大丈夫、これぐらい誰だってやってるよ。こんなの小さい小さい。誰にも分からないし、まずいと思ったらすぐやめりゃいいんだよ。どうってことないって!」と、その“小ささ”と“普遍性”に注意を向けさせ、良心を少しずつ麻痺させる緩和剤を投入して、次第に積み重ねさせて大きなものにしていくことです。“はっ”と気づいたら、もう私たちは取り返しのつかない罪の深みにはまっているのです。原文でルイスは、Light「光」、 Nothing「無」と大文字にして、その大切さを読者に喚起させています。この「光」は言わずもがな、神様、神のみ子イエス・キリストを指します。(ヨハネ1:4,5)一方の「無」は、聖書で「光」と対峙されている「闇」と考えてもいいと思いますが、この「無」の本当の恐ろしさは、この英語Nothingの意味にもあるように、そこに“神”がおられないということです。それが究極の“闇・無”の恐怖の深淵なのです。

 

③ イエス・キリストの血潮による贖いは、完全なものである。そこに加えられうるものは何もない。キリストの贖いは、一点のしみもなく、非の打ちどころもなく、傷もない。それは、神が完全であられるように、“完全”なのだ。

~A.W. トーザー~

 

The atonement in Jesus Christ’s blood is perfect; there isn’t anything that can be added to it. It is spotless, impeccable, flawless. It is perfect as God is perfect.

-A. W. Tozer

 

【解説】 ①②で終わっては、私たちは一人の例外もなく、滅びの道を行くしかありませんが、私たちには、あわれみ深い神様の、「贖いの道」が備えられています。神のみ子が、自ら全世界の人々の罪を十字架に負って歩まれた、「ゴルゴタの道」です。この贖いの恵みのゆえに、私たちは生かされているのです。この恵みに、決して慣れてしまってはなりません。