◆シェイクスピアは気づいたのです…◆

かのシェイクスピアは、一度こう言ったことがあります。

「私は、履くべき靴がなかった時、泣いた。

だが、両足のない男の人を見た時、私は泣くのをやめた。

人生は祝福に満ちている。

時として、私たちに、その価値が分からないだけなのだ。」と――。

 

【解説】 文豪シェイクスピアも、かつて、外に出るために履く靴すら買えない惨めさに、悔し涙を流したんですね。ところが、なんとか外に出た時、靴を履いて外を自由に歩きたくても、その靴を履かせる足を持たずに、胴体のまま地べたに座り込んで物乞いをしている男を見たのです。その時、彼は、己の貧しさを泣いた自分を恥じて、もはや涙は流さなかった。その代わり、自分にはまだ満足な五体があること、物を書ける手があること、ストーリーを考え出す頭脳があること、良き家族と友がいること、住む家があること…。それまで当たり前だと思っていた生活が、実は大いなるみ手の中で与えられた、“祝福”だったのだと気づいて、思わず天を仰ぐのです。げに“恵み”に慣れるということは恐ろしいことです。折節に私たちは、とりわけ他人と比べる心の中に、不平不満が頭をもたげたときは、♬数えよ、一つずつ。数えてみよ、主の恵み“と、賛美する必要がありそうですね。