◆裁くは易く、分かるは難し◆

“裁く”のは易しい。

“理解する”のは、より難しい。

理解するには、あわれみと、忍耐と、

“よき心は時として、みすみす不幸な道を選ぶ”ということを、進んで信じる意志が必要だ。

裁くことによって、人は散り散りに離れ、

理解することによって、人は大きく伸びてゆく。

 

【解説】 なかなか印象深い言葉だと思いませんか?(自分ごとですが、短く深い言葉は、訳すときも言葉選びに苦労します。字幕と同じです。(笑))4行目が新鮮でした。あえて“不幸な道”と訳した原語は、poor

method、直訳すれば“貧弱なやり方”です。その反対はrich method。何かをやるときに、お金に物を言わせ、最高のおぜん立てをして、事を成功裏に運び、人々の喝さいを浴びる処世法です。けれども善良な、優しい、思いやりにあふれた心は、自分の立場、自分の名誉よりも、相手の人のことを第一に考えるのです。そして、その人のためになることなら、たとえそれで自分が損失を受け、惨めな状態に陥ろうが、時には人々から「バカだねぇ、あそこまでする必要ないのに。もっとうまい方法があるだろうに」と批判を受けようが、徹底してその人に寄り添います。そのような生き方こそ、世の賢い人々の方法とは真逆のようでも、神様に喜ばれる道なのだということが本当に分かったら、もはやその人への批判(裁き!)は消え去り、その人の行為を、無条件で受け入れることができます。それが真の意味で“理解する”ということです。なぜなら、この“よき心”の根底にあるのはキリストの十字架の愛であり、それを理解するということは、“愛する”ことと同じだからです。

最後の2行も真実を衝いていますね。私たちの周りの家庭で、職場で、地域社会で、国家の中で、そして世界の国と国の中で、この言葉の真実性は見事に証明されているではありませんか。願わくは、この最後の1行の人の中に、加えていただきたいものです。

 

It's easy to judge. It's more difficult to understand. Understanding requires compassion, patience, and a willingness to believe that good hearts sometimes choose poor methods. Through judging, we separate. Through understanding, we grow.