◆終わりが始まりの時◆

私が“自分自身の終わり”を迎えるとき、私は“キリストの始まり”の場に立つのだ。

 

【解説】 はい、これは臨終のときに初めて真の信仰を知る、という意味ではありません。肉の自分自身に死ぬときです。その時から、キリストがあなたのうちに生きることを始めるのです。その“時”は、人がキリストの十字架のもとに立つときに訪れます。そして私の経験によれば、人は自らの人生の中で、幾たびかそのようなときを迎えます。そのたびに私は、我がうちに真にキリストが始まるように、悔い改めと、自我の磔殺(たくさつ)による生みの苦しみをするのです。十字架は、いつも私が帰るべき、魂の原点です。

 

(ガラテヤ2:20) 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

 

(ガラテヤ4:19) 「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」

 

When we come to the end of self we come to the beginning of Christ.