◆感情移入◆

あなたがレタスを栽培したとして、もしそれがうまく生長しなかったら、あなたはレタスを責めはしません。うまく育たなかった原因を探します。肥料が必要だったか、水やりが足りなかったか、日に当てすぎたか…。ともかく決してレタスに当たったりはしません。

なのに、もし友達や家族の誰かとの間に問題があると、相手を悪く言ってしまうのです。でも、もし彼らにどのように気を遣えばいいかを知っていたなら、彼らは、うまく付き合っていける人に“成長”するでしょう。このレタスのように――。

人を非難することは、何ら前向きな効果をもたらしません。論理で問い詰めたり、議論で相手を説得しにかかることも同じです。これは私の経験です。とがめず、理詰めで攻めず、議論せず、ただ“理解してあげる”ことです。もしあなたがよく相手の心を理解し、そのことを相手に示し、愛することができれば、状況は変わってくるのです。

~ティク・ナット・ハン~

 

【解説】 これ、良き人間関係の“黄金律”(マタイ7:12)ですね。これは私の経験でもあります。特に最も身近にいる女性、妻との長年の人間関係において――。この一文は、タイトルが心理学用語で、一見とっつきにくいですが、“言い得て妙”です。なんとなれば、相手を真に理解するということは、相手の気持ちに自分を置いて考える=ずばり“その人の心になる”ということだからです。レタスがうまく育たなかった原因を考えるとき、私たちは、無意識のうちに、「お前は何が欲しかった? 何が余計だった?」と、レタスの心になって考えています。自分と同じ人間だったらなおさらのこと、一度自分の思い(怒り、いらだち、不満)は全部わきにおいて(より信仰的に言えば“神様に預けて”)、その人の心に置き換えてみることです。すると分かってくることがある。人として同じ心を持っているからこそ、その人が今置かされた状況にいたら自分も感じるであろう思いを“共有・共感”できるのです(これが、“感情移入”と訳した原文Empathyエンパシーのもう一つの意味です)。そして今度は、向こうから見た自分を客観的に考えてみる。すると、こちらは全く思いもしなかった言葉や態度が、そのときのその人には、逆に頭にくること、悲しいこと、寂しいこと、耐えられないことだったかもしれないと思えてくるから不思議です。そのときのあなたの口から出てくる言葉は、もはや一切の“責め”の言葉ではありません。それは、「あなたの気持ち、よく分かった」であり、時には「今まで分かってあげられなくてごめん」のひと言です。全ての”和解の奇跡”は、そこから始まるのです――。

 

(マタ 7:12) 「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」

 

EMPATHY

When you plant lettuce, if it does not grow well, you don’t blame the

lettuce. You lookfor reaons it is not doing well. It may need fertilizer, or more water, or less sun. You never blame the lettue. Yet, if we have problems with our friends or family. We blame the other person. Bunt if we know how to take care of them, they will grow well, like the lettuce. Blaming has no positive effect at all nor does trying to persuade using reason and argument.

That is my experience. No blame, no reasoning no argument, just understand, you can love, and the situation will change.

-Thich Nhat Hanh-