◆知識か? 聖書の言葉か?◆

もし“知識”が祝福なら、悪魔は天にいるであろう。

私は、クリスチャンの大いなる誤りは、彼らが聖書を十分に探究しないことであると信じる。

 

【解説】 今回もまた、彼の2つの文章の抜粋ですが、人間の知識は、決して祝福ではないのですね。いにしえ、天使の一人は、神様のように賢くなろうとして、天を追われ、悪魔に堕落したのです。天では、己の知識を誇るものは一人も入る余地がありません。ところが、私たちは、ともすれば、信仰の道を究めようとして、いろいろな神学書を読みあさります。私の書棚にも、この半世紀で買いためた2000冊を下らない神学書が並べてありますが、それで神に関する知識は増えても、肝心かなめの聖書を、それに勝る情熱と飢え渇きを持って読んでいるかというと、忸怩(じくじ)たるものがあります。私たちは、絶えず聖書から、神様への信仰と、魂への愛を呼び覚ましていただかなければならないのです。私に、日々新たに神を見いだす喜びと、滅びゆく愛する魂への燃えるような救霊の熱情が失われているとすれば、「聖書第一」の姿勢が失われた当然の結果と言わなければなりません。このスポルジョンの言葉は、その意味で、まず私に向けられています。

 

(Ⅰコリント8:1) 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」

 

If knowledge were bliss the devil would

be in heaven.

I believe the great fault of Christians

is that they do not search the Scriptures enough.