◆”よき人”を失う前に◆

① ―かけがえのない人―

  あなたの人生に入ってくる人の中には、

  その人が去って初めて、

  その人の代わりはいないと気づく人もあるのです。

 

② ―本当の友―

  年老いてきて、

  私たちは友を失うのではありません。

  ただ、誰が本当の友か、分かるのです。

 

【解説】 年を取るということは、いろいろなものを“失う”ということでもありますね。そして私も含めて人間の愚かさは、失うまでそのものの大切さが分からないということです。その中でも最たるものは、“人”です。

① 私たちの人生には、いろいろな人が入ってきます。乱入して人生をかき回し、素早く立ち去る人もいれば、長い間、人生を共にする人もいます。生涯無二の親友もそうでしょうし、伴侶もそうでしょう。また私の妻の話で恐縮ですが、妻は結婚した時から病弱で、とりわけこの数年は10種類以上の抗生物質や薬を毎日服用し、24時間酸素チューブを離せない身となりましたが、加えて昨年からは、記憶力が急激に衰え始めました。毎晩彼女が寝る前の日課のマッサージをしながら、特にここ数年前からは「いつまでこれがしてあげられるのだろう」と思うようになりました。その日数(ひかず)の少なさに思いを致すとき、“たとえ看病や介護の苦労がどんなに多かろうと、一日でも長く共にいてくれるだけでいい”と心の底から思います。そして神様に感謝します。少なくとも私は、“失う前に”気づかせていただいたのですから――。

② 私は親しい友が多いほうではありません。(その分、このFBで多くの“良き友づくり”をしています!)それでもこの10年の間に、ワーナー時代から仕事を離れてもよいお付き合いを頂いた何人かの友や、妻の兄弟を失いました。まさに失ってみて、彼らは“本当の友”だったことが改めて分かったのですが、この引用記事は、失った人々と共に、“残る”人々のことも考えさせてくれます。年老いると、旅をすることも次第にしんどくなり、手紙を書く気力も減退し…、ということで、若い頃あれほど親しかった友とも、いつしか疎遠になっていきます。亡くなった人々だけでなく、存命でも多くの友は去っていくのです。そんな中でも、変わらず友であり続けてくれるごく少数の人々。たとえ普段はそんなに頻繁にはコンタクトできなくても、いつもあなたを心にかけて、何かあれば何をさておいても助けの手を差し伸べてくれる友。――それが分かってくるのが、老いることの祝福の一つなのかもしれません。その祝福を神様に感謝し、自分もまた、そのような“本当の友”でありたいと願わされることです。