◆失望と希望の大いなる違い◆

私たちは、“時がたてば消える失望”は、受け入れねばならない。

だが、“永遠にまで続く希望”は、決して失ってはならない。

~マーティン・ルーサー・キング Jr.~

 

【解説】 翻訳者が、どうにも日本語にならずに頭を抱える言葉というのが幾つかあります。その一つが、今日のfiniteファイナイトと infiniteインフィニットの対語です。英和辞書を引けば、こうあります。

Finite: 限定されている、限りのある、有限な、測定可能な、絶対でない、神ならぬ。

Infinite: 無限の、無量の、無数の、莫大な、果てしない。

これに依って、「有限な失望」「無限の希望」とやれば、ひとまず事は足りますし、ある程度は皆さんにもお分かりいただけるでしょうが、長年、字幕翻訳の世界で、一瞬に現れては消える言葉を、一にも二にも“分かりやすく”をモットーに生きてきた私には、これでは不満足なのです。そこで悩みに悩んで(少々大げさですが)考え出したのが上記の訳ですが、いかがでしょうか?

これをクリスチャン的にずばり言い換えれば、「この世の失望」「神からの希望」ということになります。私たちの生きるこの世の出来事は、“失望”満載です。でも、それらは、たとえどんなに大きなものでも、いっときの悲しみや喪失感のあと、“過ぎ去り、消えゆく”ものなのです。けれども、ひとたび神様から与えられた希望は、決してあきらめたり、途中でリタイアしたりしてはなりません。ルーサー・キング牧師の場合は、黒人への人種差別の撤廃、彼らの公民権の確立でした。彼は、I have a dream 「私には夢がある」と全世界に呼びかけ、やがて”黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手を取り合うようになる日が来る“という希望を、最期まで貫きました。これが、彼が「神から与えられた希望」です。それは“信仰による”希望です。人間の人格と、尊厳と、そして何よりも、永遠の命につながる希望なのです。

神様、私に、この世の失望は耐えて受け入れ、永遠の希望はどんなことがあっても捨てることのない上よりの力をお与えください。

 

We must

accept finite disappointment,

but

never lose infinite hope.

~Martin

Luther King, Jr.~