◆”服従”への神の評価◆

1)半端な服従は、完璧な不服従である。

2)もし私たちが神の命令どおりに事を行って、成功したように見えないとしても、私たちの落ち度ではない。私たちが“服従”においては失敗しなかった限り、“失敗”それ自体は、“成功”と言えるからだ。

 

【解説】 改めて、”服従”に対する人間の規準と神の規準の違いを考えさせられますね。

1)において際立つのは、人間の規準の甘さと、神の規準の厳しさです。私たちは、ともすると「できるところまでは従ったんだから」と、神への服従に自分で限界を許容しようとしますが、神様はきっぱりと、「それは不服従と全く同じだ」と言われるのです。原文を“%”入りで訳すと、「50%の服従は、100%の不服従である」ということです。

2)においては、神様が問われるのは、どんな場合でも、「あなたは私の戒めに本当に従いましたか?」ということだけ。結果については一切問われないということです。結果が大成功であろうが、惨めに失敗しようが、神様には全く同じ、意に介されないのです。神様の目は、「たとえどんな結果になろうとも、神の言われるとおりにしよう」という私たちの心の“意志”にだけ注がれます。その結果、失敗したとしても、神様は言われるのです。「よくやった。あなたの、この世的な”失敗”は、私に従ったという一点において、この天においては“成功”なのだ」と――。

 

1) Half obedience is whole disobedience.

2) If we do as God commands, and do not seem to succeed, it is no fault of ours. Failure itself would be success as long as we did not fail to obey.