◆内村鑑三:戦争の不道徳性◆

「我ら勝てり。」「我ら敵を撃破せり。」 かかる報道は、我らが同胞たる市民の苦しみを完全に忘却させてしまうものである。戦争は、人々の理性を奪うだけではなく、人間性をも奪ってしまう。人々は対戦国に敵がい心を燃やし、己の同胞に思いを致さなくなる。およそ戦争ほど、人々の共同体に対して非人間的かつ破壊的なものはないのである。戦争は実に、人間を野獣と化すものである。

~内村鑑三~

 

【解説】 内村鑑三の「非戦論」は、“戦争”そのものの持つ罪性と非人間性を徹底して糾弾しました。日清・日露両戦争の大勝利に沸く日本人にとって、彼は、あの有名な「不敬事件」も重なって、明らかに“非国民”でしたが、彼はひるみませんでした。彼の信念の根底にあったのは、「聖書」に対する揺るぎなき確信です。

  一方で彼は、当時の教会の様々な人間的腐敗に失望して“無教会主義”を唱えました。結果的に新約聖書の大きなテーマの一つである、パウロたち初代使徒による“教会形成”の苦しみを放棄したという点では、彼の聖書理解は、聖書信仰+教会形成+社会的責任という“包括的福音主義”の中核を欠いていたとも言えますが、上記の短いコメントを見ても、日本人はもちろん、一般市民に対する彼の同胞愛は、紛れもなく神の人類に対する愛を根幹にしています。その意味で、彼の心の中では、愛する同胞が、彼の“教会”だったのかもしれません。

 いずれにせよ、今私たちが刮目すべきは、この“不戦”のメッセージの時代を超えた普遍性です。訳は、あえて約1世紀前、1920年代当時の語調でやってみましたが、そのメッセージはいささかも色あせることなく、まるで現代のこの日本に向けて、いえ、世界に向けて発せられたような緊迫性と真実性を持って迫ってきますね。彼はあの時代に神が日本と世界に送られた“預言者”でしたが、私たちキリスト者も、神様に平和のメッセージを託された“小預言者”です。このメッセージを、言うべき時に、言うべき場所で、私もまた言えるかどうかを神様に問われていることを、忘れてはなりませんね。

 

IMMORALITY OF WAR “We have won. We have beaten our foes.” The news made us completely forget about our fellows’ sufferings. War makes people not only irrational but also inhuman. People become hostile to their enemy and ignore their fellow citizens. Nothing is so inhuman and destructive to a community as war. War makes people animal. Uchimura Kanzo