◆主よ、私をあなたの”声”にしてください◆

私は一人の王が欲しい。

私は一人の師が欲しい。

私は一人の指導者が欲しい。

そして私は、このお方の“声”になりたい。

~アレン・フッド~

 

【解説】 私たちには、心から仰ぎ従うべき王も、師も、指導者も、ただ一人で十分です。そして私たちの主は、この全ての資格を満たしたお方です。したがって、この短い詩は、人間の根源的な欲求の強さを吐露したものですが、誰でもキリストを信じ、この方のうちに生きている者は、この詩をこのように読み替えることができます。

私には一人の王がいる。

私には一人の師がいる。

私には一人の指導者がいる。

 そして、最後の1行に続くのです。この詩の優れているのは、この1行があるからです。これがなければ、単なる願望です。「我、太平洋の橋とならん」と言ったのは新渡戸稲造です。「我、荒野で叫ぶ者の声たらん」としたのはバプテスマのヨハネです。今、この世の真っただ中に生きる私たちはどうでしょう。キリストの福音を伝える“声”となっているでしょうか? 「私だ。恐れることはない。」「私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげる。」「私は、世の終わりまであなたと共にいる。」「あなたは高価で貴い。」――今も生きて、こう言っておられる主の、臨在と、約束と、慰めと、励ましと、受容の言葉を、最もそれを必要としている人に伝える“声”になっているでしょうか?

 この最後の1行は、著者アレン・フッドだけではない。私の、あなたのコミットメント(主への献身を伴う約束)でなければならないのです。静かに、声に出して言ってみてください。「私は、このお方の“声”になりたい」と――。きっとそのあとには、「主よ、私はふさわしくない者です。か細い声しか出せない者です。どうぞ私のうちに生きておられるあなたのお力によって、こんな私でも、あなたの”声”にしてください」という祈りが、湧き出てくるはずです。

 

I want one King.

I want one master.

I want one leader,

And I want to be His voice.

-Allen Hood-