◆”引き延ばし”:人生を最高にムダ遣いする方法◆

人生は驚くほど すばらしいもの。

物事を引き延ばして無駄にしてしまうには、

あまりに かけがえがないのです。

~ラルフ・マーストン~

 

【解説】 一度限りの人生の大切さ、貴重さは、古今、いろいろな賢人がいろいろなアプローチで訴えていますが、今日のひと言で、マーストンは、”引き延ばし”による人生の無駄遣いという、うっかり考え忘れている視点から警鐘を発しています。

 もちろん、“即断即決”が無条件にいいこと、正しいこととは言えません。人間の気質にも、速攻派と慎重派があり、これもまた、どちらがいい悪いとは一概には言えないのです。でも彼が言っているのは、すべきだと分かっていながらの“いたずらな引き延ばし”、”優柔不断”が人生にもたらす大いなる無駄、あとでその過ちに気づいても、決してもとには戻せない人生の計り知れない損失についてです。すなわち、たとえ困難や犠牲が伴おうとも、そうしたほうがいいこと、いいえ、人としてしなければならないことを、躊躇して実行に踏み切れずに決断を引き延ばし続けている間、何もせず、いたずらに過ぎてゆく時間のもったいなさのことです。そんな、何も生み出すことないまま、永遠の中に死んで吸い込まれていく時間は、ただの1分も持ってはならないほど、神様のお与えくださった命、その連続である人生は、本来、すばらしいものなのです。(この訳語“人生”を、原語lifeのもう一つの意味、“命”と置き換えても、彼の言葉は変わらず真理です。) 

 私たちを決断と行動から引き留めるものは、時として自分の社会的ステータスからくる自尊心であり、失わなければならない物質的損失であり、そのために払わなければならない労苦への恐れです。それらは全て、“自分かわいさ”からくる人間の罪の産物にすぎません。

 では何が私たちに決断を促し、一歩前に進ませてくれるのか? それは、自分のなそうとしていることは、「神の国とその義を第一に」しているかどうか、そして「神の愛」から出ているかということです。この二つのチェックポイントは、“神様のみ心”の表裏一体をなしています。大きな業はもちろん、どんなにささやかなことでも、この二つの行動基準に照らして、神様の前に「イエス」と言えることは、もはや躊躇してはいけません。思い煩いがあったら、重荷を負ってくださるイエス様に丸ごと預ければいい。そうやって踏み出したところから生まれる人間関係のすばらしさと、自分の小さな業によって人が生きる力を取り戻し、感謝にあふれ、信仰に導かれるのを見る喜びの中に、“人生の驚くばかりのすばらしさ”は、あなたの心の奥底からの実感となって、いよいよ輝きを増していくのです。聖書はそれを、“神の栄光”と呼びます。

 

"Life ia amazing and much too precious to waste on

procrastination."

~ Ralph Marston