◆愛は黙して語らず◆

もし あなたが何かとても苦しいところを通らせられて「神様はどこにいるんだろう」といぶかるときは、思い出してください。テストのとき、先生はいつも無言であるということを――。 【解説】 はい、解説の必要もありませんね。そう、英語のtestには、“試験”と“試練”の両方の意味がありますし、teacherには“先生”“師”という意味がありますので、ここは、訳出した意味と、「神(大いなる師!)は、試練を与えるときは、いつも沈黙を守られる」という意味をかけているのです。確かに試練のときは苦しいですね。「神様はどこかへ行ってしまった、神様のみ声が何も聞こえない」と思ってしまいます(小説・映画の「沈黙」のテーマは、まさにこれです)。でもどうですか? テストは、先生が生徒の実力を高めるために出すものです。そしてテストのとき、先生はいつも生徒のすぐそばにいる。でもそこで、問題の難しさに悩む生徒に、「あ、それは違うよ」とか「答えはこれでしょう」などと声をかけたら、とんでもないことになります。同じように神様も、試練のときに声を出されることはありません。でも私たちがはっきり覚えておかなければならないことは、神様は、ご自身の愛する私たちの信仰が強められるように、時として試練をお与えになるのだということ、そしてその時には、声は出されずとも、いつもあなたのそば近くにおられ、あなたの悩み苦しむさまを、じっと見つめておられるのだということです。試練と共に、脱出の道をちゃんと備えてくださりながら――。 (ヘブル12:6,7,11) 「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。…すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(Ⅰコリント 10:13) 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」