◆正しいことをする勇気◆

正しいことをするのに、決して、決して恐れてはなりません。とりわけ、人間や動物の安寧が危機に瀕しているときは――。それに対する社会の懲罰などは、私たちがそうしなかったときに、この魂に科せられる傷に比べたら、取るに足りないものです。

~マーティン・ルーサー・キング牧師~

 

【解説】 このキング牧師の信念が、あのバス乗車ボイコット運動を率いさせ、現代の“出エジプト”、ワシントン大行進を成功させ、リンカンの奴隷解放宣言を1世紀後に実現させた、彼の内なる力だったのですね。これを訳しながら、映画「J.F.K.」の冒頭に掲げられた、黒人女性詩人W. ウィルコックスの詩の一節が心に浮かんできました。「抗議すべき時に沈黙するのは卑怯者である。」 

また、“他者”の安寧と幸福の中に、動物も入っていることに、改めて彼のヒューマニズムの普遍性についても考えさせられました。私たち日本人も、あの太平洋戦争中の動物園の動物の薬殺、そして東日本大震災の時に、置き去りにされた多くの牛や犬などの動物たちの、“正しいこと”ができなかった痛ましい記憶を持っているからです。

 この、なすべき善をしなかった罪は、法による刑罰ではありませんが、私たちの良心を、死ぬまで苦しめる“魂の終身刑”です。最近、アメリカ人の友人の女性が、アフリカで現地人による強盗事件に遭って一文無しになり、パスポート再発行の費用も、帰国の飛行機代もない状態で、私にSOSを求めてきました。ちょうど私にも必要があって、送金すべきかどうか迷ったのですが、メールからは絶望のあまり自殺しかねない緊急性が感じられたので、ともかく送金しました。今彼女は、一日も早く返済するために一生懸命働いているので、私の台所はかなり苦しいのですが、そのたびに、「もしあの時、彼女の求めを断ったために、もし彼女の身に万一のことが起こったら、私は生涯苦しむだろう」と思うと、せめても心は安らぎます。

 正しいことをするのには、どんな小さなことでも、本当に勇気が要ります。ある意味、人間にとって一番勇気が要るのはこのことです。特に日本人は、まず周囲の人々(家庭、近所、学校のクラス、会社…)の目が気になりますし、それが法に触れる恐れがあるときは、なおさらです。でも、でも、決して恐れてはいけないのです。なぜなら、それが、罪の世界に生きるキリスト者の“地の塩”“世の光”としての生き方であり、どんなときにも共にいてくださるお方が、恐れに打ち勝つ究極の力をお与えくださるからです。

 

(イザヤ 41:10) 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

(ヤコブ 4:17)「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」

(Ⅰヨハネ 4:18) 「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」