◆ハレルヤ 死の恐れなし◆

“死の死”を死なれたお方を見つめ、頼る他に、本当に死の恐れから解き放てるものはない。

 

【解説】 「“死の死”を死なれたお方」。すみませんが、ちょっと分かりにくいでしょう? 原文を生かしつつ、なんとか日本語にしようと思ったら、これで精いっぱい。原文を直訳すると、「その死が“死の死”であられたお方」となります! “死の死”とは、動詞形にして「死に対して死んだ」「死を死なせた」と考えれば、少しは分かりやすくなりますね。そうです、イエス・キリストが、罪の究極の結果である“死”に対して、ご自身のあの十字架の身代わりの死によって、勝利を収められたことを指しているのです。死は一人の例外もなく、誰にも訪れますが、このお方に在って、私たちはすでに死の恐れから解き放たれているのです。パウロの勝利の叫びを、あらためて感謝のうちに聞きましょう。そして、この平安を、愛する人にも知っていただけるよう、“全力を注いで”(口語訳)証しの業に励みましょう。

 

(Ⅰコリント15:54-58)「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた』としるされている、みことばが実現します。『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」

 

"There is no true deliverance from the

fear of death except by looking to him whose death is the death of death."