◆墓のかなたの喜び◆

私たちは、一人また一人と、“死”による別れを嘆き悲しんできた。

だが私たちは、もはや墓場の存在しない、永遠の地へ行こうとしているのだ。

 

【解説】 私自身も、17年前に母を、15年前に義母(妻の母)を、7年前に義弟(妻の妹の夫)を、そして2年前に義兄(妻の兄)を亡くしました。それぞれに、生前良き交わりを頂き、かけがえのない家族でした。あなたにも、愛する人を亡くされた悲しみの記憶がきっとおありだと思います。しかもその記憶は、決してとどまることがなく、一つ、また一つと増えていき、やがて自分も、残された人の記憶の中に入る日が確実に訪れるのです。それが人の世のならいです。でも、主イエス・キリストを信じる者は、この地上の命を終えても、たちどころに“永遠の地”へ移されるのです。(“墓場の存在しない地”というスポルジョンの描写が新鮮で心に迫ります。)私たちは、かの地で、永遠に主と共に、主を賛美しつつ生きられるだけでなく、主にある人々と再び相まみえることができます。冷たい死の墓の向こうには、大いなる喜びが待っているのです。この希望の中に、愛する人を、一人でも多くくわえることができるように、今日もこの人のために、あの人のために、主にとりなしをせねばと祈らされます。

 

(ヨハネの黙示録21:3,4) 「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」