◆お金が”権力”を持つとき◆

お金って、ひとたび愛されたら、恐ろしい力を持つのよ。

 

~エリザベス・エリオット~

 

【解説】 お金そのものは、良くも悪くもない、まったく中立的な存在ですが、“ひとたび愛されたら”、権力者に変身するのですね。ミスター・マモンは、彼を愛した人を、男であろうが女であろうが、“支配”しようとします。そして金を愛してしまった人は、自分が金をほしいままに使っているつもりでいても、実はお金を拝し、お金に仕える“富の奴隷”となってしまった自分に気づかないのです。富の奴隷は”偶像礼拝の罪“の奴隷、そして富の背後にある”サタンの奴隷“です。私は長年教会で財務役員を務め、会堂建設のときなどは、何千万もの金銭を扱いました。また教会以外でも、金にうるさいことがすぐにバレて(?)、いろいろな宣教団体で会計を任せられます。いわば、金に囲まれて神様に仕えているのですが、いつどんなときにも心がけていることは、数千万円であろうが1円であろうが、私はお金の所有者ではなく、”管財人“にすぎないのだということです。管財人に求められるのは、忠実な”しもべ“の精神です。これは、自分自身の自由になるお金についても同じです。真の所有者は神様で、私はこの地上にある間、その“神様の財”の管理を任されているにすぎません。神様と、本当に主の業に用いるべき必要を覚えている人のために、委ねられた財を惜しまずよく用い、天に宝を積みたいと願っています。お金に“色目”を使い始めた瞬間、その人はサタンの手中に入れられます。お金は、ヘンな言い方ですが、強烈な“色気”(マネックスアピール!)を持っているのです。私はいつも、「主よ、私がお金を愛することなく、それをお任せくださったあなたを愛することができますように」祈りつつ、管財人の務めを果たしています。

 

(マタイ 6:24) 「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

 

Money holds terrible power when it is loved.

-Elisabeth Elliot-