◆チャレンジに言い訳は無用です◆

あなたのベストの可能性を実現しようと

行動するときには、

“言い訳”のたぐいは置き去りにしなさい。

 

【解説】 人の話で、聞いていてイヤなものは何ですか? 悪口、陰口、愚痴、自慢話…そして言い訳です。そして私の場合、まあ悪口、陰口はぐっと控えるとして、おだてられると止まらなくなるのが自慢話、そして、別にとがめられてもいないのに出てくるのが…、言い訳です! そして思うのです。(創世記3:12)「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」 “やっぱり私はアダムの裔(すえ)だなぁ”と。

でも、神様に創られた“最高の自分”を引き出すために、何かに向かってチャレンジするときは、この“言い訳”は背後に捨て去ることです。失敗、試行錯誤、行き詰まり、挫折…、そのたびに反省し、間違っていた点を是正し、さらに上を目指すバネにするのはいい。でも、「あんなことがあったから」「あいつのせいで」「あれさえうまくいっていれば」という“言い訳”は、一切封印すること。“反省”と“言い訳”は似て非なるものです。前者は自分の至らなさを素直に認め、それをプラスに変えようというポジティブ志向、後者は、原因を自分以外の周りのせいにし、マイナス面の大きさを恐れて諦めようとするネガティブ志向です。人生、全てがうまくいくとは限りません。むしろ現実には、99の失敗の中で、たった1つの貴重な成功を勝ち取るだけかもしれない。それでもいいのです。世の中は、挙げて“結果志向”ですね。「プロセスはどうでもいい、とにかく成績を挙げろ、結果を出せ、それが全てだ」という“進化論”思想が、すでに幼稚園の頃から、大人の世界まで、人間の生き方を呪縛しています。でもその行きつくところは、強い者が他者を支配し、弱い者は生きていくことさえできない、“愛なき世界”です。

 あのタラントの例えを思い出します(マタイ25:14-30)。5タラント、2タラントを預けられた者たちは、その能力(タラント!)に応じて、しかも自分の益のためではなく、ただ主人を喜ばすためにさらに蓄えたのに対し、1タラントの者は、そのタラント(才能!)を生かすために何もしなかったことの“言い訳”に終始し、持てるものまで取り上げられてしまったのでした。失敗したっていいじゃないですか。結果が出なくたってなんとかなるのです。神様は、あなたが“一切言い訳はせずにベストを尽くした”というプロセスと、“何のために、誰のためにそれをしたか”という心の動機をよくご存じで、そのことを誰よりも評価してくださるのですから――。

 

"Leave the excuses behind as you act to fulfill your

best possibilities."