◆マックス・ルケード版「アメイジング・グレイス」◆

私たちの救い主は、ひざをかがめて、

私たちが人生で犯す最も暗い行いをじっくりとご覧になります。

でも、恐ろしさにひるみ、立ち去る代わりに、

彼は優しさにあふれて み手を伸ばし、こう言われます。

「もしあなたが望むなら、それを洗い清めてあげよう。」

そしてご自身の“恵みのたらい”から、

手のひらいっぱいの“あわれみ”をすくい上げ、

私たちの罪を洗い流してくださるのです。

 

【解説】 これは、「たいせつなきみ」「そのままのきみがすき」など、神の愛の福音の真髄を、現代のメルヘンの中に美しく織り込む天才、マックス・ルケードの、一編の福音詩です。あなたがこれまでの人生で、最も主を悲しませたこと、今も心が痛む、あなたの“最も暗い行い”を、み前に差し出してください。そして、この詩に描かれた、その罪を洗い流してくださる主のみ姿を、ありありと思い描いてください。この”恵みのたらい”は、あの十字架で流された、神のみ子の血潮で満たされています。どす黒い私の罪が、主の血潮で洗い流され、雪のように白くしていただけるのです。ただ主のあわれみによって――。このあわれみがなければ、今の私はこの世に存在しませんでした。そう思いをはせつつこの詩を読むときに、この情景の背後に流れるのは、あの「AMAZING GRACE ♬驚くべき恵み」ではないでしょうか。

 

(ヨハネ13:3-5) 「イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」

 

(ローマ5:20) 「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」

 

Our Savior kneels down and gazes upon the darkest acts of our lives.

But rather than recoil in horror, He reaches out in kindness and says, "I can clean that if you want. And from the basin of His grace, He scoops a palm full of mercy and washes away our sin.

~ Max Lucado