◆”驚くべき恵み”も砂に書いたら◆

私たちは、あまりに多く、

“試練”は大理石に刻み付け、

“恵み”は砂の上に書き付けてしまいがちである。

 

【解説】 この性質は、そもそも、神の創造の恵みを忘れて、唯我独尊の道を選び取った人間の“原罪”以来、人の心に文字どおり刻み付けられた“負のDNP”ですね。以来人間は、どんな小さなことでも、他人から受けた被害は言葉でも行為でも決して忘れず、心の中にしかと刻み付け、増殖させ、復讐心を燃やし、過剰な報復をしてきました。人間関係の様々な軋轢、争い、傷害、殺人、戦争…全てはその結果です。また試みによって受けた心の傷は、いつまでも、時には永遠に続くかと思うほど心の奥深くにとどまり続け、どうにかしてそこから脱出して、新しい道に踏み出そうとしても、すぐに引き戻されてしまうのです。

一方で、受けた恵みを忘れることの驚くべき速さはどうでしょう。そもそも恵みを恵みとして感じる心の琴線が、この自我自尊の罪のゆえにかなりほこりがたまって鈍くなっているので、ほんのいっとき感謝に揺れても、すぐにその振動は止まってしまい、本来はいつまでも奏で続ける美しい余韻の響きは、ものの三日と持ちません。その時はどんなに大きな字で”感謝””ありがとう”と書き付けても、それが砂では、風や波で、たちどころにかき消されてしまうのです。

神様のみ力によって、大理石に刻み付け、砂に書き付ける内容を、完全に変換しなければなりません、“恵みは心の大理石に、試練は砂に”――。今からでも遅くはないのです。あなたの残された人生、このパラダイムシフト(劇的な思想転換)によって、どれだけ神様の祝福に満ちたものになるでしょうか。これができる力は、私たちの内にはありません。あの十字架の主を―ご自分を苦しめた人の赦しを願い、そのお姿を真下から見上げたヨハネに「ここに愛がある」と言わしめた、あのお方をただ仰ぐ以外には――。

 

(詩篇 119:71)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

(詩篇 103:2)

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」