◆”見る”は”見る”でも…◆

神様は、お互いを“のぞき見る”ために友達にしたのではありません。

お互いの”面倒を見る”(助け合う)ために、そうなさったのです。

(描画 ジョーセフ・クラーク)

 

神様は、お互いの*”あら探し”をするために私たちを友にしたのではありません。(*see through…)

互いに*“助け合う”ためなのです。(*see …through)

~作者不詳~

 

【解説】はい、本日最後の“恵みのFB便”です。この原文も一種の“言葉遊び”で、訳すのは難しいのですが、このタッチの近世風の絵が珍しく、かわいいので(子猫ちゃんもいるし!)、そのご紹介も兼ねて、「えいやっ」と踏み切りました。今回は、韻ではなく、同じ言葉でも、間に何か入ると意味が違ってくるのをポイントにした格言。同じsee(見る)を使っていますが、see throughとsee…throughでは、上記の訳のように違ってくるんですね。絵と共に言葉の奥深さ、味わってみてください。では皆様、よき主の日を…。

【解説2】はい、本日の言葉遊びの真理、その2。これは、seeシーとthroughスルーを組み合わせたイディオムですが、その目的語(ここではeach other お互い)が、あとに来るか、間に入るかで、意味が違ってくることをモチーフにしたメッセージです。(なお、これが名詞になると、「シースルー」で、“透けて見える物”になり、透け透けルックの衣装になりますが、それはまた別のお話。)

 

"God has not called us to see through

each other, but to see each other through."

Artist~ Joseph Clark