◆人が最高にうれしい時◆

最高にうれしい気持ちになるのは、

他の人は当たり前と思っていたのに、

誰かが、あなたの全てを感謝してくれた時です。

 

【解説】 “あなたの全てを”と言うのは、全人格的な受容と感謝を表しますが、具体的には、それはその人の個々の行為や言葉に対してなされるべきです。それは、この最高のうれしさを知っているあなただからこそ、できることです。どんな小さなことでもいいのです。「今日の礼拝の前奏、よかったよ。おかげで“賛美心に”なった。」「あなたの笑顔を見ると、ほっとするの」。「一度言おうと思ってたんだけど、君の作るチラシのデザインって、サイコーだね。知りたい情報が、ぱっと飛び込んでくる。」 こんな一言が、実はその時、「誰も私の苦労を分かってくれない。なんかむなしい。やめちゃおうかな」と思っていた誰かを救うのです。もちろん私たちが主のためにささげる奉仕や犠牲は、キリストの命と引き換えにあがない取られ、主のものとなった私たちには“当たり前”のことです。でもそれは当の本人にとってそうなのであって、周りの私たちが、決してそう思ってはいけないのです。「あの人だから、あんたにいいたまもの持ってるんだから、やって当たり前。できて当然」と思うのは、人の悪しき“慣れ”、感謝を忘れた心にいつしか巣食う、ひそかな“傲慢”です。どうぞ、次の機会に、あの人に会ったら、ぜひ一言の感謝と褒め言葉を言ってあげてください。その効果は、あなたの想像以上のものです。それは、その人にとって、他の何にも勝る、強力な“霊のカンフル剤”になるのです。そうやってお互いに人の徳を具体的に高め合うとき、命のない、死んだような教会が、よみがえります。なぜなら、それこそが、キリストが身をもって示された、“キリストの体なる教会”の、真の姿だからです。

 

(ローマ12:10) 「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」

(ピリピ2:3-5) 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」

 

The best feeling is when someone

appreciates everything about you that someone else took for granted.