◆”暗闇”も、愛でした◆

私が愛したある人が、

かつて、中が“真っ暗闇”の箱をくれました。

気づくのに何年もかかったのです

それもまた“贈り物”だったということに――。

 

【解説】 たとえ何年かかっても、これに気づいた人は幸いです。「あの人のせいで、私の人生、めちゃめちゃだった」と、恨みつらみを墓場まで持っていく人が、この世には大勢いるのですから。でも、このことに気づくには、大きなパラダイムシフト(視野の転換)が必要です。その人を突き抜けて、背後におられる、はるかに大いなる存在に心の目を見上げる必要があるのです。その時に初めて、私たちは全てを受け入れ、相手の人を赦し、感謝さえすることができるようになります。この詩篇の記者のように。この信仰の偉大なる先達のように――。

(詩篇 119:71) 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

(ローマ 8:28) 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」