◆あなたのキリスト、人に見えてますか?◆

もし人々に、あなたの内なるキリストが見えないとしたら、彼らは、あなたが「持っている」と言うものも欲しがりはしないでしょう。

ひとたびあなたが、“自分は主が愛される者の一人として受け入れられた”と実感するなら、あなたは“人に拒まれる”ことは意に介しなくなります。なぜでしょう? なぜなら、自分が与えなかったものを、あなたから取り上げることのできる人は、この地上にただの一人もいないからです。

~トッド・ホワイト~

 

【解説】 これ、一読して、「なんか深そうだけど、イマイチ深すぎて分かんない」と思いません? 私は思いました!(笑) そこでご一緒に、著者が言わんとしているポイントを考えましょう。

① まず、あなたは自分がクリスチャンであることを人々に伝えていますか? それは言葉を変えて言うと、「私はキリストを救い主、主として、持っています。私の内には、キリストがおられます」と証しすることです。それがこの文章の大前提になっています。およそあなたの“持っている”ものの中で、それが一番大事なものです。その大切なキリストを、いくら「持っている」と人々に口で言っても、あなたの日々の行い、言葉を通して、人々にそのお方が“見えない”、感じられないとしたら、他のいかなるものを我がものとして誇ったとしても、誰も欲しいとは思わないということです。それはしょせんうわべだけの、実体のないものだということがバレバレだからです。

② 次に、今度は、ご自分の人生で、“誰に受け入れられることが、あなたにとって最も大切なのか”、という問題です。端的に言えば、人か、神か、ということです。答えは言うまでもなく、後者、”神様”ですね。この全宇宙の中で、あなたを十字架の極みまで愛し、命を捨ててくださったお方が、あなたを”我が愛する者、我が子”として受け入れてくださっている、この真実の前に、地上のあらゆる人間関係の複雑さ、煩わしさは、霧散します。人を支配し、支配される泥沼のようなしがらみからも解放されるのです。世の人は、あなたに様々なものを与えてくれたかもしれない。それは時として、あなたを自分のそばに引き寄せておくための“アメ玉”だったかもしれない。でも彼らは、あなたに命よりも大切なもの、あなたの主、”キリスト”を与えてはくれなかった。そして、彼らは、どんな手練手管をもってしても、自分が与えることのできなかったものを、あなたから奪うことはできないのです。

“この世の全ての人に見捨てられてもかまわない。このお方が、私と共におられるなら――。” この確信を、あなたは、しかとお持ちですか?

 

If people don’t see Christ in you, they won’t want what you say you have. Once you realize you are accepted in the Beloved, you’ll never feel rejection by people. Why? Because nobody on this planet can ever take away what they didn’t give you.

-Todd White-