◆今日なくば昨日もあらじ明日もなし◆

過去、現在、そして未来は、本当は1つなのです。それは“今日”という日です。

~ハリエット・ビーチャー・ストウ夫人~

(19世紀アメリカの奴隷制度解放運動家。作家。「アンクル・トムの小屋」で有名。)

 

「あなたの全ての注意を、神が今この時になさっていることに向けなさい。明日起こるかも、起こらないかもしないことに、いたずらに心を騒がせてはなりません。いかなる困難に立ち向かわなければならないとしても、その時が来れば、神があなたを助けてくれるのですから――。」

~マタイ6:34 THE MESSAGE版

聖書 (ユージーン・H・ピーターソン訳)

(新改訳改訂第3版 マタイ 6:34)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

 

【解説】 ストウ夫人の言葉は、ある意味、哲学のように、あるいはまた禅のように深淵ですね。でも、私たち向けに単純化して言えば、次の3つの点でこれが真理であることが分かると思います。

① 私たちは、過ぎ去った過去をどんなに悔やんでも、まだ来ない明日をどんなに心配しても、どうすることもできません。私たちにできることは、「今をどう生きるか」だけです。この一瞬一瞬が“人生の正念場”なのです。

② 翻って、神様が私たちに与えられた「時」は、“連続”しています。そしてそれは、仏教の輪廻の教えのように、巡り巡って繰り返せるものではなく、決して繰り返すことのできない不可逆性を持って、歴史の終末(神の国の完成!)に向かって、まっすぐに続いているのです。したがって、「昨日」は途切れることなく「今日」に続き、今日は、間違いなく「明日」に続いていきます。だから、「現在」は、「現在」のままでは終わりません。「現在=今、この瞬間」を精一杯に、心を込めて生きるときに、それは決して後悔しなくてよい、感謝の思い出を持つ「過去」になり、今の経験を生かしつつ、たとえどんなことが起こっても、神様のなさるみ業を信じて、希望を持って迎える「未来」につながっていくのです。

③ 私たちのために“時”を定められた神様ご自身は、「永遠」のお方です。神様は、“時”の中にはお住みになりません。神様にとっては、いつでも「永遠の今」があるだけなのです(Ⅱペテロ3:8)。このお方だけが、あなたの悔やんでも悔やみきれない過去の罪をも「今」赦して、雪のように白くしてくださり、あなたには分からない未来のことも、「今」、最善にコントロールしていてくださいます。このお方をひたむきに信じ、委ねて、与えられた「今」を生きること、そこに、ストウ夫人の言葉に心から「アーメン!」と言えるカギがあります。それは、この“永遠の神”の視座で“今”を見るときに、初めて可能なのです。

 

ところでこのMESSAGE版聖書、いつも読んでいる聖書と比べて読んでどうですか? なかなか新鮮ですね。日本語版の出版が待ち望まれます。

 

(アーティスト)マーク・キースリー

 

"The past, the present and the future are really one; they are

today."

~ Harriet Beecher Stowe

 

"Give your entire attention to what God is doing right now, and

don't get worked up about what may or may not happen tomorrow. God will help

you deal with whatever hard things come up when the time comes."

 

~ Mathew 6:34

Artist: Mark keathley