◆”礼拝”の内と外◆

◆祈りの家◆

―“礼拝の内と外―

 

“礼拝”とは、神のまことの豊かさを映し出す、“内なる感情”と“外なる行動”である。

~ジョン・パイパー~

 

【解説】 “クリスチャンとは?“と聞かれたら、いろんな答え方があるでしょう。でもその中に、絶対に入っていなければならない一つの定義は、“クリスチャンとは、礼拝する者です“であると言えるでしょう。クリスチャンの使命は、神のすばらしさを証しすることです。そしてそれは、まず他のどんな行為よりも先に、“礼拝”においてなされなければなりません。礼拝において、私たちは内なる人を燃え立たせられます。み言葉や、賛美や、祈りによって、神の愛と恵みの深さ、広さに触れて、時には涙するほど感動します。しかしそこで終わってしまったら、それは単なる感情だけの礼拝です。その燃やされた心は、私たちの堅い意志と結びついて、その喜びを、たとえどんなささやかなことであれ、行動によって示そうとします。“神のまことの豊かさ”(原意:神の真価)は、礼拝において、それにあずかる私たち一人一人の、内なる人(感情)と、外なる人(意志的行動)によって、生き生きと映し出されます。そこから私たちは、自分の遣わされた場所に出ていきます。そこにおける私たちの毎日もまた、“礼拝”です。私たちの役割は、太陽のように輝くことではありません。月のように、ただ太陽なる神のすばらしさを、この身を通して映し出し、反射させるだけです。そしてまた新しい週の初めの日、私たちは“礼拝”に帰っていくのです。“神のまことの豊かさ”に浸るために。そしてこの身に映し出すために――。

 

"Worship is an inward feeling and outward action that reflects the worth of God."

—John Piper