◆平安はまず我が心に◆

もしあなたが、自分自身のうちに平安を見いだせないなら、

他のどこにも決して見いだせはしない。

~マーヴィン・ゲイ~

 

【解説】 「平安」と訳した語peaceは、ご存じのように「平和」とも訳せる語です。日本語でも、この2つの言葉はほとんど同じような意味ですが、「平安」は自分自身の心の状態をまず指すことが多いのに対して、「平和」のほうには、他者との「戦い・闘い・争い」の反対語としての意味合いが強いです。つまり、他者との間に保たれるもの、それが平和であると言えるかと思います。かつてビリー・グラハムは、「神との平和」を書いて、ベストセラーとなりました。このように考えると、次のような相関わる真理に導かれるのではないでしょうか。

 私たちは、他の誰との平和を求める前に、まず自分の心のうちにまことの平安を持つべきです。

 しかしそれは、自分自身のうちにあるものではなく、イエスから頂くべきものです。

 絶えずみ父との間に平和を保っておられたみ子にして、ご自身のうちにある平安を、信じる私たちにお与えくださることができます。そう、私たちは、“み子イエスの平安”を頂いて初めて、周りや世界に何が起ころうとも、決して揺るがされることのない平安を、自分のうちに持つことができるのです。

 その時に私たちは、他の移ろいゆくものに、つかの間の平安を求めることをやめます。そして、神との平和を得て初めて味わうこの平安を他の人と分かち合うべく、全ての人との、そう、敵に対してさえ、平和を保とうとして出ていきます。そのときにこそ私たちは、心に“イエスの平安”を抱いた平和の使者に、“平和を創り出す者”にしていただけるのです。

(下記の聖句から、このことをしばし瞑想してみてはいかがでしょうか?)

 

(ヨハネ 14:27) 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

(ローマ 12:18) 「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」

(エペソ2:14,15) 「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」

(マタイ 5:9) 「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」

 

If you cannot find peace within yourself, you will never find it anywhere else.