◆”ほとんど救われた”ではダメなのです◆

”ほとんど救われている”というのは、要するに“失われている”のと同じことだ。

地獄には、かつて“ほとんど救われた”が、今は全く呪われている人々が大勢いる。

 

【解説】 “何とか救われてほしい”という思いが先走って、相手が少しでも“信じた気配”が見えると、それをもって安心して導きの手を緩めてしまう。それが、”ほとんど救われた”人、そしていつの間にか信仰から離れていく人を大量につくり出している原因だとスポルジョンは言います。すなわち救霊の“詰め”が甘いのです。魂を信仰に導くとき、私たちは;

① まずその人が自分の口で、はっきりと「私はイエス・キリストを私の救い主、主として信じ、受け入れます」という信仰告白をすることができるようにしてあげなければなりません。ただし、それを“強要”してはいけません。忍耐をもって、“神様の時”を待つべきです。

② そして、その後の信仰生活の基本である、聖書を読むこと、祈ること、礼拝に出席すること、証しをすること、喜んで献金をすること、などをしっかり教えなければなりません。“鉄”は熱いうちにしっかり打ち鍛えないと、弱さともろさを抱えたまま、すぐに冷えていきます。

これは、牧師の責任であり、私たち先に救われた者の責任なのです。

 

(ローマ10:9,10)

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

(ローマ12:11,12)

12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

 

Almost saved is altogether lost. There are many in hell, who once were

almost saved, but who are now altogether damned.