◆ゼッタイ的真偽◆

 

真実は、たとえ誰もそれを信じないとしても、

 

やはり真実です。

 

ウソは、たとえ誰もがそれを信じたとしても、

 

やはりウソです。

 

 

 

【解説】 この2つの命題は、いわば“絶対的な真理”です。なぜそう言えるのでしょうか? それは、「しかり」を「しかり」、「いな(否)」を「いな」と言ってくださる絶対的に真理なお方が存在するからです。「嘘も百回繰り返せば真実になる」「小さな嘘より大きな嘘に大衆はだまされる」と言ったといわれる(前者は後世の創作のようですが)、かのナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ=ゲッベルスの昔から、恐るべき時代錯誤思想で幼少教育を推進するため、ウソで完全武装したK氏に至るまで、罪ある人間の世界には、ウソが蔓延しています。一方では、“天動説”の科学的ウソを強いられながらも、「それでも地球は回る」と真理を固持したガリレオから、史上ただ一人、ケネディー暗殺事件の真相を法廷で問い、無罪評決で敗れながらも、「いつの日か真実は明らかにされる」と言い放ったアメリカ地方検事ジム・ギャリソンに至るまで、真実・真理の擁護のために、文字どおり命を懸けた人々もいるのです。私たちの、真実・真理への究極のよりどころは、聖書です。なぜなら、それが絶対真理なる神様の書かれた唯一の真理の書だからです。そして私たちには、「私は道であり、真理であり、命です」(ヨハネ14:6)と言われた、神のみ子イエス・キリストが共におられるのです。不真実な自分、不真実な人間に頼ることをやめて、唯一真実・真理なるお方に従ってまいりましょう。

 

 

 

(Ⅱテモ 2:13 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」