◆信頼された、そのときは◆

―信頼された、そのときは―

誰かがあなたに信頼を寄せるとき、その人はこう言っているのです。
『あなたが一緒なら、私は大丈夫。』
その信頼を打ち砕いてはなりません。
それを正しく受け止め、感謝なさい。
~ドディンスキー~

【解説】 ”信頼”。美しい響きを持つ、私の好きな言葉の一つです。あなたはどうですか?
そして、それを端的に言い表した言葉、「あなたが一緒なら、私は大丈夫。」――これも、心の琴線に響く言葉です。これは「あなたと一緒にいるなら、私は安全(原意)、何も怖くない。生きていける。」ということです。あなたは誰かにこう言われたら、どう思いますか? どうしたいですか? それを示したのが、続く2行です。
(1) 一つは、“信頼された者の責任”です。その信頼を、私たちは決して裏切ってはならないのです。人の信頼に応えず、それにふさわしくない言動をとり、その結果、相手を傷つけ、悲しませることは、たとえそれで法の制裁は受けないとしても、私たちを“信じて生きる者”として創られた神の前には、万死に値します。その罪を犯したことを主に示されたときは、私たちはどんな犠牲を払っても、たとえ一生かかっても、その償いをしなければなりません。
(2) もう一つは、“信頼の受け止め方”です。自分はこれだけのことをやっているのだから、信頼されて当たり前、と考えるのは人間の傲慢です。原文のappreciateが意味するところは、①こんな取るに足らない者を信頼してくれた相手の人の心の広さ、人を見る目の確かさと温かさを尊敬し、評価し、称賛することであり、②決して誇るためではなく、さらに信頼される者となるために、自分の何が、どういうところが信頼してもらえたのかを正しく知ることであり、③その信頼を神様からの“ご褒美”として、ありがたく受け入れ、心から感謝することです。 そして、み前にこう祈りましょう。(ルカ17:10)「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」