◆墓地の看板は訴える◆

【解説】 はい、これは読む人によって、ジョークにも、真面目にも取れますね。これにユーモアを感じる人は、「やれやれ、やっと心が平安になれるのは、冷たい土の下(墓の中)かよ。もっと生きてるうちに心のラクをしたかったよ。」という、多くの亡くなった方の思いを代弁しているような口ぶりに、共感の笑いを漏らすのでしょう。
 私は大まじめに訳したのですが、それは、「家族のために、あくせく汗水流して働いて、この世の人間関係のしがらみの中で、さんざ心をかき回され、病気やら、不景気やら、思いがけない災難やらで、いっときも心のゆとりを持てないまま、これから何年も、何十年も生きていく…。一度限りの人生、これじゃあまりにもったいないじゃないか。」という人々の声が、聞こえてきたからでした。その声を聞きつつ、私が訳した2行目の言葉のニュアンスは、「いいえ、生きていっていいはずです!」という反意の応答を伴ったものでした。より正確に訳しますと、これは、「なら安らぎのうちに生きることだってできるでしょう?」⇒「生きているときも、心の平安を持って生きましょうよ!」というポジティブ(積極的・肯定的)なニュアンスを持った、“最高の人生の生き方”の勧めなのです。
そんな生き方は、神への信仰によってのみ可能になります。かくいう私も、神の恵みにより、信仰によって救われ、こうして生きている今からすでに、”心の平安”を与えられました。外はどんな大嵐でも、心の中には、「我なり。恐るな」(マタイ14:27)と言われるお方、神のみ子キリストが、いつも共にいてくださるからです。このお方に在って、私たちは、この世を去る時だけでなく、生きている一日一日を、内なる平安をもって生きることができるのです。
この看板の、ウイットに富んだ問いに、あなたはどうお応えになりますか?