◆私が”選びの教理”を信じるワケ◆

私は“選び”の教理を信じる。なんとなれば、もし神が私を選んでくださらなければ、私が神を選ぶことは絶対なかったことを、心から確信しているからである。

 

【解説】 はい、この2行の文章に、身びいきでもなんでもなく、「さすがスポルジョン!」と私はうなりました。なぜなら、「選び」というキリスト教の奥義中の奥義は、詳しく説明しようと思ったら、このテーマで本を書けるほどのもので、それでも完璧に説明し尽くすことのできない神秘なのですが、それを彼は、幼子のような単純さをもって、このように言い放ったからです。これは“神の選びと人の信仰”の表裏一体性を、聖書の中から正しく、深く組みだした彼にして言い得る“信仰告白”とも言えるでしょう。

 

(ヨハネ 15:16) 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」

(エペソ 2:8,9) 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

 

I believe the doctrine of election, because I am quite sure that if God had not chosen me I should never have chosen Him.