◆その気がないなら祈らない!◆

自分の足を動かす気がないのなら、“我が歩みを導きたまえ”などと祈ってはなりません。

 

【解説】 「今年はどうも耳が痛いな」なんて思ってません? 俗に“虫のいい祈り”というのがありまして、我ながら結構そんな祈りをしているのです! その祈りの特徴は、今さら私が言うまでもありませんが、自分はできるだけラクをして(苦労をしないで)、自分の望みをかなえてくださいと神様にお願いすることです。もう一つの特徴は、今日の祈りの例にもあるように、自分には真剣に従う意志のないまま、口先だけで祈る祈りです。
皆様、祈りには、それなりの“覚悟”がいるのです。いえ、決してそれは大げさなことではなく、祈る者の当然の心構え、祈りへの主体的なコミットメント(関わり合い)ということです。すなわち、その結果、なすべきことを示され、促されたら、たとえそれがどんなにつらいことでも、犠牲を払うことでも、喜んで従うということです。そうです、祈りにおいて最も大切なことは、“神のみ心への従順”なのです。そこには、そうするのに十分な価値があり、のちには、あふれるばかりの祝福が必ず与えられます。なぜなら、祈りの中で示されたことは、全てを働かせて最善を成してくださる(ローマ8:28)神様のみ心そのものだからです。