◆主のいますところ、敵もまたあり◆

◆チャールズ・スポルジョン “説教者のプリンス”◆
Charles Spurgeon - The Prince of Preachers
―主のいますところ、敵もまたあり―

キリストがおられるところには、”ヘロデ”や”ユダ”もどこか近くにいるということは、私たちがいつも体験するところである。

【解説】 スポルジョンは、“直截の人”であり、また“警告の人”でもあることを知らされますね。この警告を聴いて、私の心にまず浮かんだのは次の聖句です。
(Ⅰコリント10:12) 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」
私たちが“立っている”と思うとき、それは、“私は今、キリストと共にある、喜びと主の臨在に満たされている。全てのものが、祝福に満ちている”と感じるときです。だがそこに、ヘロデ=主の主権を奪おうとするこの世の様々な圧力と、ユダ=思いもかけずに私を裏切る身近な人が現れ、私たちは大きくつまずき倒れることがあるのです。
そしてもう一つの聖句はこれでした。
(Ⅰペテロ 5:8) 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」
ヘロデヤユダの背後にある敵の正体は、空中の権を持つ者、サタン=悪魔です。そしてサタンがいる最もあなたに近い場所、それはあなたの“心”の中です。堕落した天使であるサタンの地上の住みかは、一貫して人の心なのです。決してこの狡猾な闇の主権者に、あなたの心の主のみ座を明け渡してはなりません。そばに近づけてもいけません。そのためには、“身を慎み、目を覚まして”いることです。サタンが最も好きなエサは、人間の“高ぶり=傲慢”であることを、ゆめお忘れなきように――。

 

We always find that, where Christ is, there is a Herod or a Judas somewhere near.