◆”神の選びの民”を探せ!◆

私たちは、異邦人(異教徒、未信者)を回心させなければならない。神は彼らの中に、あまたのご自身の“選びの民”をお持ちなのだから、私たちは出ていって、どうあっても彼らを見いださなければならないのだ。

 

(使徒 18:9,10) 「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」。

 

【解説】 今日のスポルジョンの言葉に、2つのことを教えられます。
① 引用した聖句を皆さんはどう解釈していましたか? 私は、この「わたしの民」とは、既にイエス様を信じているが、諸事情で教会を離れている人、母教会の圏外に引っ越して、教会を探している人のことと思っていました。でもこれは違うのです。本人はまだ信じていないけれど、神様にはすでに“選ばれて”いる潜在的クリスチャンのことなのですね。
② したがって、これは、「神の選びと召し」という大いなる信仰の奥義を秘めた言葉だと言えます。すなわち、私たちの宣教論は、どんな場合でも、証しし、伝道する私たち人間の目線でではなく、永遠の昔から、既にご自身の民を選んでおられる神様の視点で語られ、理解されなければならないということです。スポルジョンは、must(…ねばならない)という最上級の強い義務感を表す言葉を2度も用いていますが、これは決してクリスチャンの伝道の義務を人間的観点から強いているのではなく、“神様にすでに選ばれている人を、私たちの怠惰によって失ってはならない。どんなことをしても、その人々を探し出さなければ!”という、神様の促しへの“応答”の決意の表れなのです。
この新しい年も、2000年前の弟子たちのように、“神の選びの民の探索者”として、恐れずに語り続けねばと思わされることです。

 

We must have the heathen converted; God has myriads of His elect among them, we must go and search for them somehow or other.