◆詰め込まれた知識よりも…◆

1オンスの“心の理解力”は、1トンの“頭の知識”に値する。

 

【解説】 スポルジョンは数学者でもあったか! と言いたくなるような“比較の真理”ですね。数字に弱い方のためにざっと計算しますと、前者の1オンスは約0.028キログラム、後者の1トンは1,000キログラムですから、前者は、後者の約35,700倍の力を持つということです! とは言っても、ここはもちろん数学の問題ではありません。前者の価値は、後者とは異次元と言っていいほど、けた外れに貴重だということですね。
私はクイズが大好きで、「Qさま!」「くりいむクイズ」、「初耳学」「高校生クイズ」…など、およそクイズと名の付くものは欠かしたことがなく、知識量としては相当いい線ではないかとひそかに思っているのですが(と、堂々とひけらかしております)、頭の知識はともすれば、他者と比較して自分を誇ります。けれどもそれは、他者を生かすことはできません。その人の悲しみも、痛みも癒やすことはできないのです。それができるのは“心”の理解力、感受性です。自分自身の心を開いて、目の前の人の心と同化させ(心理学では感情移入(エンパシーempathy)と言いますね)、まるで自分のことのように、その人の心の重荷を受け止めてあげる受容力です。人々の驚嘆と喝采を誘う己の博覧強記を誇るよりも、ほんのわずかでもいい、人を理解する愛の心をこそ、神様に求めなければいけないのではないでしょうか。知識はしょせん、その人の地上の命と共に終わります。しかし心の理解力は、“愛の思い出”となって、人々の心の中に、そして何よりも、天において永遠に残るのですから――。

 

(ローマ 12:15,16) 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。」
(Ⅰコリント8:1) 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」
(Ⅰコリント13:2) 「また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。」

 

An ounce of heart knowledge is worth a ton of head learning.